2011年9月のカナ・パーティ出会われた、あるカップルのお証をご紹介します。
【妻(I姉妹)のお証】
わたしはあなたがたのために立てている計画を よく知っているからだ。―主の御告げ― それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、 あなだがたに将来と希望を与えるためのものだ。 (エレミヤ書29章11節)
主人とは2011年の秋のカナパーティーで出会いました。
私はカナの会の会員で、彼は2010年のお見合いリストに載っていて、当時、私は彼とのお見合いを希望していましたが会えずじまいのまま、月日が過ぎて、その間、私はただやみくもに何人かの人と出会い、伴侶を探し、消去法のように神様にみこころでないことを示され、月日がたっていき、友人に婚活がうまくいかないと相談したところ「具体的に結婚相手の条件を祈ったら、そのとおりの人が与えられた」と証ししてくださり、私は「聖書を心と生活の土台においている人がいいです」と祈って半月ほどして、パーティーで主人に出会いました。
主人が自己紹介したとき、自分がお見合いを望んでいた人だとすぐわかりました。楽しそうな方との印象を受け、全体の自己紹介が終わり次第、誰よりも先に一番に声をかけました。
その時はあまり話せず、一週間ほどしてから主人から連絡があって、会いました。会っていくうちに、自分が望んでいた理想の人だとわかりました。そして、4か月目でプロポーズしてくれました。
結婚し、二人で生活してみて、神様はこんなにも自分にピッタリで、自分が望んでいた以上の最高の人を与えてくださったと感激のしどうしでした。
昔、失恋したときに「神様が備えてくださるみこころの人は、最高、最善のかただから、失望しないでいようね」と励ましてくださったかたの言葉がよくわかりました。今、私はその方の言葉を声を大にしていうことができます。
スピード婚でしたが、一緒に暮らし始めてから、今までになかった愛情が育っていきました。結婚してから恋愛が始まった感じがしています。
私と主人とは15歳違いで、はじめは背伸びしてないといけないか、無理しているか心配でしたが、とても落ち着いている主人といると、私も安心し、精神的に落ち着いてきました。
朝顔がつるの先が伸びて捕まる先を探していたような私にとって、つるの絡まる先の支えをみつけたようでした。
結婚は救いと似ていると私を育ててくださった牧師先生はおっしゃいましたが、本当にそうだと感じます。
神様に対してまっすぐな主人と暮らしているうちに、救いによってキリストに結びあわされて新しくされ、一つになっていくように、主人と生活して、私も、私の信仰も変えられていきました。
私はあなたを解き放って幸せにすると神様からみことばをいただいていましたが、まさに神様はその通りにしてくださいました。
この結婚は過去の重荷から解放し、またすべての試練はここへ導かれるものであったと過去の神様のパズルの1つ1つが一枚の絵になったものでした。
主人はとても忙しい毎日を過ごしていますが、1日15分ほど、聖書を読んで祈る家庭礼拝の時間をもつことで信頼と絆を深め、夫婦心一つとなって歩ませていただいています。
祈るとき神様は必ず最善をなしてくださると主人との出会いからこれまでの生活を通して神様は教えてくださいました。
神様とカナの会の皆様に心から感謝いたしております。
【夫(I兄弟)のお証】
ハレルヤ!主の御名を賛美します。
私と妻は、2011年9月に行われたカナ・パーティーで出会い、結婚に導かれました。
パーティの最初の自己紹介の後、自由に声を掛け合うという時間に、妻の方から、私に近づいて来てくれて、話をしました。私は50代。妻は30代でした。パーティーの後、メアドや電話番号を交換しました。
私は50代になるまで婚活をたくさんしていました。お見合いもたくさんしました。
若い、かわいい、明るい、優しいの4つの形容詞が揃っていることなど、理想を高く持ち、それ以外にもピアノが弾ける人がいいとか、働く女性とか、いろいろな条件をつけて祈っていました。
そのため、紹介されても気が進まないことも多く、逆に「この人がいい」と近づいていくと断られる…何回も何回もパーティーに出席しても決まらず、年齢も30代、40代、そしてついに50代に突入してしまいました。
次第に紹介もなくなり、「もう若い人は無理」「再婚の人か子どものいる人しか無理」と周りからも言われるようになり、焦りと不安の中で祈り続けました。
しかし、祈っても祈ってもなかなか結婚に導かれないので、祈りの手を下してしまうこともしばしば。もう一生独身なのかと思ったこともありました。
パーティーの後、祈りつつ、妻に電話しました。食事に誘ったら快くOKの返事をいただきました。会話も弾みました。また会う約束もできました。海遊館、嵐山へとデート。私の教会の特別伝道集会にも来てくれました。初めて私の教会に来た時には、教会の人もびっくり。私が女性を連れて教会へ来ることはなかったからです。
そしてクリスマスコンサートの後、ディナーの席(焼肉屋)で、プロポーズしました。
結婚に導かれた御言葉は「主はあなたの一生を良いもので満たされる。( 詩編103:1-5)」でした。この御言葉の約束に立って結婚を決意しました。
若い、かわいい、明るい、優しいの4拍子揃った女性を主は備えてくださいました。しかし今、結婚して思うことは外見の条件よりも内面の条件(クリスチャンであること、御言葉と祈りに固く立ち、礼拝を重んじ、主と隣人を愛する人、救霊の重荷を持っている人)の方がもっともっと大切なんだということです。私も相手もクリスチャン。信仰の土台が一致していることです。主を見上げるという同じ方向を向いている人と結婚することです。
なぜなら、そこには
①一緒に御言葉を読み、祈れる幸い
②一緒に礼拝や教会の奉仕にあずかる幸い
③家庭を解放して主を証しできる幸い
④共に喜びを分かち合い、重荷を負い合える幸い
があるからです。
また「二人は一人よりもまさっている」「二人が労苦すれば良い報いがあるからだ」と御言葉は語っています。
2012年5月の婚約式、8月の結婚式ともに、実に多くの人が出席してくださって、ともに喜んでくださいました。
皆さんも祝福された結婚へと主が導いてくださることをお祈りしています。